2014年12月21日から23日まで伺いました岩手被災地支援 盛岡教会訪問の報告をさせていただきます。
まず今年度の祈りであり、願いであった被災地支援のための派遣を実現させてくださった神さまに感謝いたします。そして熱い祈りと尊い捧げものをもって支えてくださった皆様にも心からの感謝をいたします。
2014年12月21日 クリスマス礼拝が終わった日曜日の夕方に新幹線で盛岡へ移動し、盛岡教会の牧師である大須賀先生ファミリーと執事の福田さんと合流。夕食のあと、盛岡教会へ伺い、仮設訪問にもっていくプレゼントの袋詰めを手伝いました。つめていたものは、入浴剤、歯ブラシ、ハンドクリーム、そして以前にボランティアにきた西南学院大学の学生たちの手書きのクリスマスカードです。袋詰めの作業をしながら震災直後は大量の支援品が盛岡教会へ届けられたこと、しかしあまりに大量だったため、仕分けの作業をやってもやっても終わらず、だんだん品物を見るだけで気持ち悪くなってしまったことなどのお話を聞きました。
22日 月曜日早朝6:40にホテルにお迎え、お祈りと簡単な打ち合わせをして7時すぎに教会を出発。途中のコンビニで朝食を買い、車の中で食べながら大槌町へ。雪と凍結がある中、途中でキーボードを借りたり、クリスマスのチキンを購入しつつ、やっと大槌町安渡の仮設についたのが11時。教会を出発してから片道4時間。すでに集会室には20人くらいの方々が集まって座って私たちを待っていてくださいました。盛岡教会の方々はすぐにカフェの準備、私はキーボードをセッティングして歌の時間。クリスマスの曲を一つ歌ってプレゼントした後、日本の冬の歌 たきびや雪などを一緒に歌いました。またクリスマスの話をしながら手話も覚えてキャロルも一緒に歌いました。そのあとカフェタイムとなり、買ってきたチキン、もってきたクラムチャウダースープ、コーヒー、大久保から送ったフルーツケーキなどがふるまわれ、一緒にクリスマスをお祝いしました。お土産を渡して次の仮設の集会所へ。このあたりから雪がチラチラ降りだし、気温もぐっと下がってきました。その後、小鎚第4、第7、大槌第8仮設を訪問し、仮設の集会所に来られない方々には一軒一軒まわってプレゼント、西南からのクリスマスカードを配りました。この小鎚第4仮設の集会所の増築された部分がバプテスト連盟の被災地支援のお金が用いられて作られました。
大槌と小鎚の間には山があって津波以前にはあまり交流がなかったこと、震災のあとはくじ引きは仮設が振り分けられたため、今までのコミュニティーがばらばらになり、交流のなかった大槌と小鎚の人がお隣同士になったり、最初は大変だったことを聞きました。また岩手の三陸海岸はとても大きな被害を受けたのですが、宮城などに比べ、PR不足もあってあまり知られていないこと、大槌町は町のため、お金がなくあまり助成金が受けられないことを聞きました。また以前に私が訪れた宮城の仮設と違って、岩手は小さな仮設が点在していることを初めて見て知りました。大槌町は広い土地がないことから仮設が小じんまりと10軒くらいある周りには普通の流されなかった家が建っていて、目の前には更地になってしまった自分の家があった土地、その向こうには家が流された海が見えるという精神的にも厳しい状況にあることを聞かされました。家がかろうじて残った人も家の中は浸水などの被害を受け、電化製品はほとんどだめになっても支給されるのは電化製品一つだけ。それに比べ、仮設に入った人は家は無くなったけれどとりあえず一通りのものが揃えられた状態。結局どちらにしても大変だったということ。また実際仮設も訪問しましたが、ほんとに仮に建てられた住居です。この家に自分が3年8カ月も住めと言われたらどうだろうかと考えると本当に胸が痛みました。「きりきず公園」にはこんな看板があり、ます。『ここはきりきず公園 大きなきずなんてへっちゃらさ そんなこどもの遊び場です おとなもこどものころのじぶんに であってみませんか』この言葉に大槌の方々のたくましさが表れているのかもしれません。しかしながら高齢の方々はもうこの仮設で死を迎えるのかもしれないと思っている方々も多いようです。公営住宅への転居も結局は買い取りのようなシステムで、年金生活者には支払いを続けていくのは厳しい現実もあるようです。そんないろいろな話を聞きながら昼食も食べずに訪問し、終わったのが夕方4時頃。それから帰路につきましたがものすごい吹雪になり、見通しも悪いの中の運転で盛岡に帰りついたのが夜9時頃。普通の天気ならば3時間のところが5時間もかかってしまいました。このような往復を盛岡教会の方々は震災当時は週に3回くらいやっていたということを聞いて本当に頭が下がりました。
次の日は盛岡教会のこどもクリスマス会に参加。わたしのミニコンサートのほか、きよしこの夜の替え歌を作ったり、牧師家庭のお嬢さんと同級生のお友達がきてヴァイオリンとフルートの三重奏もあり、私もその伴奏を当日譜面、当日合わせで付き合うというハードな面もありつつも楽しく過ごしてきました。しかしこどもクリスマスに参加した盛岡教会員の方は2人。あとはこどもたちのお母様たちという状況で、盛岡教会の大変な面も感じつつ、その夕方東京への帰路につきました。
大須賀先生たちによりますと、今回の私のスケジュールは普通のボランティアの倍のスケジュールを半分の日程でやり遂げたとのことでした。道理で、相当ハードでありましたが、現地にいったからこそ、感じることができたことがたくさんありました。そしてそのことをこのようにまた大久保の皆様にもお伝えでき、私たちのこれからの祈りも支援もまたよりあついものへと変えられていくことと思います。
馬小屋で生まれ、十字架にかかられた主イエス・キリストが被災地の方々と共におられ、共に痛み、共に働かれている。人間の業や重いだけでは決してできないことだと今、ふりかえって改めて思わされています。まだまだ支援も祈りも必要とされています。クリスマスを祝ったわたしたちは、クリスマスにきてくださった主イエスさまと共に、これからもわたしたちのできることをできるときに、精一杯捧げ支援し祈り続けていきましょう。これからも皆様のご協力をどうぞよろしくお願い致します。